【①我が家が経験した・遺産相続協議・意識不明重体の交通事故・2週間集団暴行被害】

氣づきの処方せん

 

 

 

さあ!明日も弁護士事務所へ行く日だぞ!! ^^;

 

 

ここ数日

色んなジャンルの方のブログなどでは

隠している事実のカミングアウトが目に付きます。

離婚していた事実や、離婚と共に我が子の親権は相手側に取られた言うことだったり

親から虐待を受けていたと言うことや、レイプまがいなことをされたと言うこと。

現実の困難から逃げたくてギャンブルにはまり、気がつけば貯金よりローンが多くなっていたという話。

数年前から気に入って読んでいる方々なのですが、

今は読者へ

『生きていくこと』

『心のあり方』

『許す』

『受け入れる』と言うことを素敵な内容で書かれています。

 

これらが目に付いてきてるタイミングで私も

『私に起こった困難は恥ずかしいと思うのではなくて、誰かの役に立てればと書き出してみよう!!』

 

そして

今、

同じように

こんな状況を経験中の誰かのためになりますように・・・・

 

 

 

私の母は次々と病気で手術入院をすることが多く、

その度に優しさのかけらもない義父の対応に苛立ちや悲しさもありました。

それでも、母と一緒に生活してくれていること、

悪い部分よりもありがとうと思えるところを感謝しなくては・・・

そう思っていた20代の私。

退院後2階の寝室で寝てる母に、3日間ご飯どころかお水1杯も運んで持って来て

くれなかった話は数ヶ月経って聞かされました。

その手術入院から1,2年経った頃私の母は脳腫瘍で入院し手術しました。

 

頭には30個くらいホチキスの針のような物が並び、抜糸という物はそれを抜くという

見ていられないほどの光景でした。

その状況で義父は病院の請求書やレシートのような物を広げて

電卓で計算。

眉間にシワを寄せて怒りが含まれた顔でした。

私は義父に『保険に入ってると聞いてたけど、それ以上に掛かりそうなの?』

『いつまでの支払いなの?』そう聞いた私に義父の返事は

『次から次から参るよな!会社もいつも休み取ったり、色んな手続きばかりやらされるし』それが返事だったのです。

会社も退職して、アルバイトでバスの運転手を数年続けていたんですが

母のところへ来るのは億劫の様でそれは見ていて十分伝わりました。

 

そして数年後

母が横断歩道を渡ったときに、居ることに気がつかない左折車が母を跳ねた後、

車下へ入り込んだまま10メーター引きずられました。

救急車内から私へ電話が入り意識不明の重体と言うこと・・・

足の膝から太ももの付け根辺りまでごっそりと肉が剥がれ骨が見えるようなエグい物でした。

繰り返し繰り返し、壊死してるところを取り除いては背中や色んな部分から

皮膚を移植。

1年の入院から、リハビリ専門の病院にも1年ほど居ました。

 

肉や皮膚が継ぎ接ぎで、ひざを曲げることや段差に上がること、

座ること、洋式のトイレですら一人では大変という状況でした。

そんな姿なのに、優しさもない日々の態度に対して話し合った時期がありました。

それは『養子縁組の手続き』

義父に『今まで母との間に色んな事があり、面白くない態度を取り続け、一部始終聞いて解ってます。これからの人生、母が先になくなるのか、義父が先になくなるのかは分かりません。ですが、もし、母が先になったとしても、残った義父の面倒を見ます。

そこで音信不通になるとかしないし、介護が必要ならばそれも含めて面倒を見るよ。

言葉だけの嘘にならないよう養子縁組の手続きしようか・・・』

そう言いました。

義父は『なんかそれを聞いて安心した。どんな風に考えてくれてるのかと思って居たけど聞けることじゃなかったら』

それで持参していた養子縁組にそれぞれが記入して出しておいてねと用紙を置いてきた。

そのまさかのこの数日後のタイミングで今度は義父が脳梗塞

母が異変に気がつき急いで病院へ行ったお陰で左半身弱い麻痺で済みました。

履かせる、着させる、食べさせる、少しのお手伝いを母がするものの、

下手だとか、文句を言ったり手で払ったりされていました。

母も人の介護が必要な身分でしたがそれでも頑張ってやってました。

脳の専門病院からリハビリの病院へ移って数ヶ月後義父にさらなる異変が見つかりました。

胃に凄い出血があると・・・

義父はプライドが高く、人にあれこれ面倒を見て貰うことが嫌で、それに対して

私たちには想像が出来ないストレスを抱えて過ごしたのだと思います。

出血を止めようとする薬を使えば又血が固まりやすくなり脳梗塞になる。

脳梗塞が再発しないように血液がさらさらする薬を飲み続けると、

胃の出血は凄くなり、どちらの治療をすべきかも解らないという医師の答え。

リハビリ専門の病院から総合病院へ移り、検査を繰り返しそして治療が始まりました。

しばらくの期間入院になるからと家にある荷物を色々やっていると、

養子縁組の用紙がそのままあったので提出しました。

希望があるのならと治療を繰り返してましたが、悪化するばかりで良い結果は見込めないとわかり義父の姉に、もし分かるのであれば20年以上も前に分かれた子供2人に連絡を取り義父と合わせて上げてくださいと伝えました。

義父の姉と母は仲が良くなくて、自分が離婚した原因はうちの母に問題があるとか

私に諸々愚痴の電話をしてきてました。

愚痴を言ってくれたり、色んな事を頼めたりしていたのですがある日突然

病院で私に攻撃の言葉と態度に変わりました。

どうしたのだろうと不思議に思って居ましたが義父の姉から出た言葉は

『養子縁組したって書類に出た。あんた、財産目当てで養子縁組したんだろう』

怒りマックスで何も聞こうとしていなかったので話し合いが出来る日はありませんでした。

今まで1度も病院へ来なかったのに養子縁組したことが分かってからは頻繁にお見舞いへ来るようになり、義父と二人っきりになることが増えました。

今までの義父とは違い、印鑑と通帳を持ってきてくれ、家の借用書を持ってきてくれ

生命保険の証券と担当者の連絡先と、携帯電話持ってきてくれなど、

病室では必要ないであろう品々を母に頼んでました。

ある日、息子2人と孫が5人くらい病室へ入ったので母は遠慮して大広間へ居ました。

義父もだいぶ弱ってきた頃、またまたこのタイミングで母が乳がんで手術入院することになりました。

そして、数ヶ月後には治療法がない義父はホスピスへ移動することが決まっていたので

最後の自宅へ外泊許可が出たのは母が乳がんの手術の日。

もうそうしたら頼めるのは姉しかおらず、家の鍵を渡し、義父と家で過ごして貰いました。

病院に入院中の義父に持っていった通帳から200万円以上引き落としもされていて、

実の息子、又は姉が絶対何かすると分かっていたので、家の借用書や証券、そういった物は全て私が預かりました。

母が入院中で、義父が一時退院に姉と2人で何をしたのかというと

色んな所に手続きして歩き、年金や入院保険などの戻り金を受け取る口座を

病院へ持ってきた1冊の通帳へ変更していました。

自宅の郵便物に書き間違えか、何か不明な点があると言うことで

その変更のお知らせ通知が来て母は驚き、それを解除し、

病院へ行き『何を2人でしているの?!』

そんな揉める大きな声は病院の廊下までつつぬけでした。

合鍵は戻ってくることはなかったので家の鍵を変えるよう私はいい、

様子を伺っていました。

ホスピスへ移動してからも、姉、妹夫婦、息子が頻繁に来て

母は病室へ入られなかったのです。

 

 

そして平成26年

母と再婚して20年連れ添った義父さんが他界しました。

 

直ぐに葬儀屋さんへ渡せない顔です。

ムンクの叫びのような大きな口を開け、斜め下へ顎を下げ目はかっ開き

サラシでぐるぐる巻きにしたり丸めたタオルなどを下へ入れ整えました。

その後葬儀屋へ引き渡しました。

実の息子に電話して直ぐに来てくれるのかと思ったら数時間も来てもらえず・・・

翌日からは毎朝

母の家に実の息子夫婦にお子様沢山、あちら側の親族も数名来ましたが

私たち親子、そして我が子供2人にもの凄い目つきと態度をしてきました。

葬儀も火葬も分裂してやりました。変な光景ですよね?そう係に聞くと、

『いいえ、こう言う家族結構ありますので気になさらないで下さい』と・・・

 

我が子供2人は生まれたときから、かなり大きくなるまでは本当に血が繋がっている

おじいちゃんと思って過ごしていますし、小さい頃に分かれて離れた

本当の息子さん達よりも、私たちの方が長く、納棺の儀や火葬の時は

叫ぶように泣いてしまうのも、そこには思い出が沢山あるからで、

全く涙も出していないあちらの方々に

『演技だね、よく、嘘の涙が出るもんだ』そう言われる筋合いはない。

悲しかった、悔しかった、義父は最後の最後に何がしたかったんだろう・・・

ぐちゃぐちゃにして・・・そう思いました。

 

この家族を見ているともしかしたらと※公証人合同役場へ行って調べると・・・

 

はい

 

有りました。

 

 

遺言

 

 

 

母はそこに崩れました。

 

内容を読みました。

 

葬儀が終了して、諸々の手続きが沢山有ると言うときに・・・

 

実の娘でもない私も、背中の床ずれに薬を塗ったり、下の世話、下半身のただれに薬を塗って上げると言うこと。

自営のお店に支障が出ても病院へ行き来する数ヶ月・・・色んな思いが出てきました。

・・・の通帳は長男に・・・・・・・の通帳は次男に・・・・家は長男に

・・・・は次男に・・・事細かに書かれていました。

その中には義父が脳梗塞で倒れた後に養子縁組をしていることとその解除の申しだてもありました。

 

確かに、そう言われると、話し合って気持ち通じ合い記入した用紙の提出は脳梗塞の後だ。

他人から見るとさも私が財産目当てと紐付けられても仕方が無いのかもしれない・・・

真実は一つ!!

そのときに義父と話し合い決めたことはあのときにいた母と私にしか分からないこと・・・

遺言をそのまま認めると母は家を含め丸裸で出ることになるので

弁護士に依頼し、色んな法律で可能なところまで進めました。

義父の姉の指示で言われるがままの相続である長男と次男。

何か伝えても自分で答えが出せず一端その言葉を持って帰り

姉に聞くのでしょう・・・数日後結果の返事が来る。

又違う内容を申し立てしてもやはり自分で答えを出せず内容をお持ち帰り・・・

 

直ぐにその場で返事の出来ない息子さん。(私と同じ年)

裁判所と弁護士事務所へ行ったり来たりの日々・・・

『貰える権利があるのなら少しでも多く頂きたい』という伝達事項には

もうね、笑いが出たよね。

あなたたちは父の身体を拭いて上げたのだろうか。。。。

薬を塗って上げたのだろうか。。。

嘔吐物を片付けたのだろうか。。。。

病院食を一緒に食べる時間を過ごしただろうか。。。

悲しいのかい?愛はあるのかい?

 

本当はとことんまで異議あり!!でやっていきたかったけれど、

月日、年月もかかり、弁護士費用も加算していくので1番良い選択を弁護士にして頂き

財産分与が決まりました。

内容的には全く理解できませんが、現金全てと家は息子さんへそのまま渡し、

母は古い軽四の車をそのまま頂くという結果。

権利がない義父の姉が出しゃばってきてたので

貴方の意見は一つも通りませんし、貴方が裁判所へ来る権利もありませんと

まず、出てこないよう命じました。

 

全ての物を下さい、分けてくださいともの凄いんだから、

義父のお骨と写真も渡しちゃいましょうと私は思い、弁護士に持って行って貰いました。

49日、納骨、1周忌はお願いねという気持ちも込め、恨み辛みのあるであろう私たち親子が面倒を見ていくより、亡くなる5日前に全財産を我が息子へ渡すと思った

その息子さんが面倒を見た方が良いのだと思いました。

それが又気に入らなかったようで弁護士にも凄い対応だったらしい。

ちゃんと納骨してくれたかな・・・1周忌やってくれたかな・・・

 

 

 

数年が経ち、すっかりそんな事件も忘れていたのに、年末から義父の姉の嫌がらせ電話が母のところと、母の姉の家に掛かってきました。

 

あのお金を返せとか意味不明で、数ヶ月後の先月

家庭裁判所から姉の直筆で申し立ての書類が来ました。

貰える権利は本当に無いのにどうしたものだ・・・

いい加減関わって欲しくないのだけれど・・・

 

そのまま家庭裁判所へ行って返答を伝えても良いのだけれど、常識、一般常識が伝わらない相手にはやはり弁護士に行ってもらおうと再度頼むことにしました。

 

数年前も弁護士とその費用で解決し、

今回も又弁護士と費用が掛かる。

 

 

 

 

母が交通事故に遭い、長い期間の入院だったのだけれど

この時に我が家で起こっていた問題は

我が子が入学後半年だけ寮生活が義務づけられていていました。

2週間毎日毎日布団に覆い被せてベッドに寝かせ、6人の高校生男子に暴行を受けていました。

理解できますか?

逃げて帰ってきた我が子の鼻の形が変わり服を脱いだらアザだらけ、

切り傷があるという その姿を・・・

 

学校に連絡、病院で検査、警察署や教育委員会家庭裁判所へ行く数ヶ月。

結局何もして貰えなかったよ。

病院代も頂けず、学校側も今後気をつけますという一言。

未成年を守ると言うことが凄いんだね・・・

殴られて訴えてるのに殴った方を守る法律って何?

寮生活していたその6人は停学。辞めたくて退学した子も居ました。

家から通学を許可頂き、学校へ行き出しましたが

同学年の女子が我が子へこう言ってきました。

『お前何チクってんの。お前のせいで奴ら停学になったじゃん』

それを聞いて驚きました。なんだそれ???暴行受けて言った我が子が悪いんだ???

それからはその仲間であろう車が、我が家の前に来ては家の前で急発進してタイヤの音を立てていく行為が続いたり、電話のワン切りが頻繁になりました。

 

 

 

SNSや同じ地域で彼らを見ます。

我が子が、お店のOOOへ行ったらOOO君が居て一緒に珈琲飲んで今の近況を沢山話してきたと言います。

 私たち夫婦はあのときの悲しみや怒りがまだ完全におさまってないというのに

そんな出来事も全て受け入れる、許すという心のあり方を我が子から学びます・・・

 

写真は大変お世話になっている法律事務所です。

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